世間一般の企業は「スケール」を目指していますが、それがメリットの時代が終わり、デメリットになりつつあるって知ってましたか?
今回は、前回に引き続きこのように従来の様式を見直す上で多くの示唆を与えてくれる山口周さんの書籍『ニュータイプの時代』を読む中で、私が気付きを得た部分を共有することで本を紹介していきます。
こんな方におすすめ
- 未来の先読みをしたい方
- 現在の社会に疑問を覚えている方
青字が『ニュータイプの時代』からのハイライト(引用文)です。
目次
従業員の8割以上は自分の仕事にやりがいを見出せていない
『ニュータイプの時代』からの引用
- 社員意識調査の大手であるギャロップ社によると「仕事に対して前向きに取り組んでいる」と答える従業員は全世界平均で 13%しかいません
- 日本のリクルートキャリアによる「働く喜び調査」でも、「働く喜び」を感じていると答えた人は全体の 14%となって おり、その他の調査も含めてまとめれば、およそ8割から9割の人は、自分の仕事を「どうでもいい」と考えており、「意味」や「やりがい」を見出せていないことが示唆されています。
いかにクソ仕事が蔓延しているかということ。
リーダーとは
『ニュータイプの時代』からの引用
- リーダーが「意味」を与えることによって、ヒトというリソースから大きな能力を引き出すことができるのだとすれば、そのようなリーダーには大きな経済的価値が生まれることになります
- 部下がだらしない、使えない」と嘆いている管理職がどこの組織でも見られますが、これは典型的なオールドタイプの思考モデルであり、本当に嘆くべきなのは「部下を動機付ける『意味』が与えられない」自分の不甲斐なさであるべきでしょう
- 意味を与えられるリーダーが、いかに他者から大きなエネルギーを引き出すことができるかを示しています
部下がだらしない、使えないと、本当に考えてしまっている人は、残念だけどリーダーの資質が無いと思う。
若者とは常に「その時代に足りないもの」についてハングリーな存在
『ニュータイプの時代』からの引用
- 「最近の若者は草食系で元気がない」という指摘をする年長者もいるようですが、これは自分の枠組みでしか世界を評価できない典型的なオールドタイプのコメントと言えます。そうではない、むしろ「社会をより良い方向に変化させたい」というエネルギーのレベルはミレニアル世代の方が高く、その発露の仕方や方向性が違う
- いつの時代にあっても、その時代の「若者」というのは、常に「その時代に足りないもの」についてハングリーなだけだという
最近の若者は・・・と感じる人は、今の時代に足りないモノをキャッチアップしそこねているということ。
スケールが常にメリットだったのは過去の話
『ニュータイプの時代』からの引用
- 今日に至って、かつてスケールがもたらしてくれたメリットの数々は縮小・消失しており、場合によってはむしろ競争力を削ぐ要因となりつつあります
- ローカル市場のメジャーセグメント向けに展開しているオールドタイプは、かつて彼らの競争力の基盤となったスケールメリットを失い、むしろスケールを求めたことで発生するデメリット、つまり「スケールデメリット」によって競争力を減損させることになります
スケールが競争力の源泉だと思っている方は多いです。
「プロダクトアウト」でも「マーケットイン」でもない「メディアアウト」というパラダイム
『ニュータイプの時代』からの引用
- 20 世紀後半において支配的になったマーケティング計画作成のプロセスをよく見てみると、実際にはそのどちらでもなく・・・
- 「プロダクトアウト」と「マーケットイン」でもない、両者の中間をつかさどるメディアや流通のありようが、プロダクトと顧客ターゲットの双方を必然的に規定する「メディアアウト」ともいうべきパラダイムに縛られていたということ
この構造には気付かなかったです。
これからの時代に、役に立つで勝負してはいけない
『ニュータイプの時代』からの引用
- 日本企業の多くは相変わらず「役に立つ」市場でコストを下げ、利便性を高めることで競争に勝つという戦略を追求しているようですが、グローバル化が進めば、この市場では世界のトップ数社しか生き残れない
- 市場のグローバル化が進めば、グローバル市場での最終戦争=ハルマゲドンによる勝者総取りが発生し、世界中のほとんどの企業は生き残ることができません。
「役に立つ」はレッドオーシャンになってきているということで、ブログの記事も「役に立つ」コンテンツでしか基本的に検索エンジンでは拾ってもらえないので、そういう構造にしてたりするんですが、レッドオーシャンで勝負していて分が悪いと思ってます。。
役に立つはコピーが出来るが意味はコピーできない
『ニュータイプの時代』からの引用
- 現在の市場においては「役に立つ」ことよりも「意味がある」ことに経済的価値が認められているということ
- これからは「役に立つモノ」を生み出せる組織や個人にではなく、「意味」や「ストーリー」を生み出すことができるニュータイプに、高い報酬が支払われる時代がやってきているということ
- 「意味はコピーできない」ということ
売れるストーリーには、挑戦が必要で悪い時の状況も合せた部分を魅せる必要があると思っているんですが、それ自身を検索エンジンは拾ってくれないので、どう集客すれば良いかが焦点になってきます。ヒントは既に有名なものにあやかるとかかなぁとかモヤモヤと考えています。
論理的な処理は「差別化の喪失」を招く!?
『ニュータイプの時代』からの引用
- しかし、正しく論理的・理性的に情報処理をするということは、人と同じ「正解を出す」ということでもあるわけですから、必然的に「差別化の喪失」という問題を招くことになります
- 意味」が非常に重要な局面において、いたずらに論理を積み重ねても良質なアウトプットは得られません。両者の問題解決アプローチにはそれぞれ一長一短があり、短兵急にどちらかだけを用いるべきだと断定することはできません
- 知的専門職で高いパフォーマンスを上げるためには、システム1(直感)とシステム2(論理)の、両方をバランスよく使うことが求められている、ということ
- 予測の対象がVUCAになればなるほど、システム2のパフォーマンスは低下し、システム1への依存度が高くなるということを示しています
論理的に処理すればするほど、正解は1つに集約され、「差別化の喪失」を招くという発想はすごいと思いました。
エラーや遊びは排除すべきではない?
『ニュータイプの時代』からの引用
- 自然界の進化の仕組みには「エラー」という要素が不可欠のものとして組み込まれているにもかかわらず、私たちは自分たちのオペレーションからエラーというものを排除しようとします。これは本当に正しい考え方なのでしょうか
- アリAが最初につけたフェロモンのルートが、必ずしも最短ルートでなかった場合、マヌケアリが適度(?)に寄り道したり道を間違えたりする、つまりエラーを起こすことで、偶然に最短ルートが発見され、他のアリもその最短ルートを使うようになり、結果的に「短期的な非効率」が「中長期的な高効率」につながる、ということです
- 戦略的に「遊び」=「研究者はその労働時間の 15%を自由に使って構わない」を盛り込んでいるわけです
物事を習得する為に「遊び」ほど効率的なことはないですし、「短期的な非効率」に我慢が出来ずに「中長期的な高効率」の芽をつぶしている状況はよく目にする気がします。
量的指標の無価値化
『ニュータイプの時代』からの引用
- 「モノが過剰になる一方で、問題が希少化している」という状況は、必然的に「量的指標の無意味化」という事態を私たちに突きつけ
- 寿命についてはすでに「量」の問題から「質」の問題へと重点はシフトしており、「質」の問題が改善されないままに、これ以上「量」の向上を図ったところで、大きなメリットはないということです
- つまり「量が増加すればするほど、増加一単位あたりの効用が小さくなっていく」ことを経済学では「限界効用逓減の法則」といいます
「モノが過剰になる一方で、問題が希少化している」という状況は確かによく目にする気がして、無理やり問題を可視化する為のツールに価値が出ているように思います。
おわりに
この記事を書いている時点で、『ニュータイプの時代』のようやく2分の1読み終わった状況なのですが、それでも気付きとしてハイライトをつけた箇所が180もあり、かなり"気づき"が多い内容です。
自分としても考えを定着させたいので、紹介することで復習していますが、もしも本記事を観て、"気づき"や"共感"を覚えたという方は、是非こちらの本を手に取ってお読みください!一緒にニュータイプになりましょう!
「ニュータイプの時代」の紹介:量的経営指標に基づくマネジメントは終焉したに続く
他にも自分の中で気付きが多かった書籍を紹介しておりますので、気になる内容があれば観ていってください!
ご閲覧ありがとうございました。
ではでは(^^)/