話題の斎藤幸平さんの『人新生の「資本論」』を読んでみた。久しぶりに読むのに時間が掛かる大作を読んだように思う。ここで得た気付きや学びを使いこなせるように、何回かにわけて学びをアウトプットしてみる。
人新世の「資本論」を読んで感じた印象①:マルクスに固執し過ぎている
まずこの書籍で感じた印象はというと、マルクスにすごい固執しているということ。
世間一般で認知されているマルクスが出した『資本論』は、彼の晩成でさらに成熟させたものとはかけ離れていることの説明に半分くらい費やしている気がした。
何故そんなにもマルクスに拘るんだろう?経済学の世界に身を置いているとそれがベースになってしまうのかな?門外漢の私からするとそこまでマルクスの考えを打ち出さなくてもいいのにと思った。
批判っぽいような印象を持った半面、彼がマルクスの晩成の研究から得た着想は面白くて、マルクスから切り離して考えたほうが一般受けするように思った。
人新世の「資本論」を読んで感じた印象②:ハイライト(学び)が多い本
どこで見たか忘れたのだが、本の評判にハイライト※がかなり多い本であることが書かれていた。これに偽りはなく、私も285箇所もハイライトをしていた。
※ハイライトとはKindleで文章にマーカーの様に印をつける機能
私個人としては『資本主義から価値主義へ至る道』みたいな本を執筆しようと考えているのだが、この本の中で覚えた言葉を多用することになりそうだ。
人新世の「資本論」を読んで学んだこと
学んだ言葉を操れるように、言葉の定義を振り返る。
人新生とは
人新生とは「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代」という意味で、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツエンさんが名付けたもの。
SDGsは現代版「大衆のアヘン」
昨今、SDGs(持続可能な開発目標)という言葉が叫ばれるようになったが、本書ではSDGsという言葉を語る事で、温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまう状況があり、現実の危機から目を背ける事を許す「免罪符」のように機能していると指摘し、マルクスが「宗教」を「大衆のアヘン」と批判したように、SDGsは現代版の「大衆のアヘン」と痛烈に皮肉っている。
次回に続く
ご閲覧ありがとうございました。
ではでは(^^)/